終末期の人工栄養補給、中止可能に…学会指針案
終末期の人工栄養補給、中止可能に…学会指針案

2011年12月5日(月)01:29

 高齢者の終末期における胃ろうなどの人工的水分・栄養補給は、延命が期待できても、本人の生き方や価値観に沿わない場合は控えたり、中止したりできるとする医療・介護従事者向けの指針案が4日、東京大学(東京・文京区)で開かれた日本老年医学会のシンポジウムで発表された。

 近年、口で食べられない高齢者に胃に管で栄養を送る胃ろうが普及し、認知症末期の寝たきり患者でも何年も生きられる例が増えた反面、そのような延命が必ずしも本人のためになっていないとの声が介護現場を中心に増えている。

 そこで、同学会内の作業部会(代表・甲斐一郎東大教授)が試案を作成した。広く意見を募って修正し、来年夏までには同学会の指針としてまとめるという。

ソース元:http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20111204-567-OYT1T00848.html


ようやく生かしておくだけがすべてではないこと
死ぬということへの考えが変わってきたのかな。
だけど変な話だなって思う。「中止可能に・・・」って。
病院に入ったきり、出ることもできず、最期の時を自分のお家で
安心できる場所で過ごすこともできない人が多すぎる。
自宅で旅立つには問題がある、にしても・・・悲しいことだと思う。

動物の場合は、自分の生き方、死に方を伝えられない。
サポートする側が最期の時期を把握しながら
そのことを自体を受け入れることは難しいかもしれない。

だけど人と違って安心できる場所で過ごすことは難しくない。
だからこそサポートする側が、心を合わせ
そのコの気持ちをちゃーんとちゃんと聞いてあげて
望むことを叶え、そこから多くの教えを感じ取って欲しい。

産まれたからには誰しも死ぬ。
だからどう生きるか、がとても大切だし
死がすべての終わりでもない。
ただただ永遠に続く絆の強さを実感させられるだけ。
と私はそう感じています。
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by GANBARUNEKO | 2011-12-05 16:04 | 【Ganbarunekoの気持ち】 | Comments(4)
Commented by monkichihaha at 2011-12-05 20:37
私もこの記事は興味深く読みました。
というのも義父がこの胃ろうの手術をして
延命していたからです。
もう本人の希望なんて関係なしでした。
パーキンソン病と認知症が進んでいたので
自分で判断なんて出来なかったし
希望を伝える事も出来ませんでした。
家族もわけのわからないまま同意しましたが
これって生きてると言えるのかな?って
ずっと疑問に感じていました。
それから3ヶ月後に亡くなりましたが
義父は本当にそれでよかったのか未だに考えます。
もちろん望む人もいると思うので元気なうちに
家族で話し合っておく事が出来ればいいですね。
実父は入退院を繰り返したけど最期は自宅で
前日まで母の手料理を少しだけど食べて
旅立ってくれたので家族も後悔が少なくて済みました。
難しい問題だけど、患者の意思を反映して
選択出来るようになるのはいい事なのかなって思います。
Commented by Leyna at 2011-12-06 13:35 x
悩んでいます

ニャオンのこと
副鼻腔が悪化していて ずーずーと言っていて
検査をするか、このままそっと行くか
でも検査してオペとなってもしないとは決めているのに
(実際にそう言う選択になったら迷いそうですが)
彼女の場合は白血病もあるので
色々と悩みます
穏やかに過ごせることを一番に今は考えています

がんばるさんのこのお話で少し考えて見たくなりました
自分に当てはめてみたら
やはり嫌だなと
母も父も延命しましたと言ってもこう言う形ではなかったですけれど

延命の問題は家族にとっても辛い選択です
心の中での葛藤があります
それでも生きて欲しかった と言うのが私の正直な気持ちでした
その中に両親の気持ちは入っていなかったですが
大事な人を送る側も そして家族を置いて逝く側も
辛いと言う事を感じた時でした
Commented by Ganbaruneko at 2011-12-14 13:41
☆もんきちさん、お返事遅くなってごめんなさい。
こういう問題って自分で決めて、と言われても人間の場合は
なかなか難しいのかもしれないですよね。
それも突然決めなきゃいけなかったりしてパニック状態だと
何が何でも生きていて欲しい、それだけでお医者様にお願いしてしまうでしょうし。
かといって練習できることでもないですしね。
だけど今回のこの記事のように、少し落ち着いたところで
色々考えてまた処置を変更できたりする選択肢が広がるのは
やっぱりいいことですよね。

私、ここ2日、がっつり寝込んでたんですけど(たぶん風邪)
それが弘前でだったんです。
帰らなきゃいけない日も動けなくて、みーちゃんも待ってる(今回お留守番だったので)となると
落ち着いて寝てもいられないけど動けないし寝てないと治らない。
その葛藤がしんどかったです。
お家に帰ってきてみーちゃんの顔を見て、自分のベッドで寝て
本当に幸せで安心できました。そういった意味でも具合が悪いほどお家で過ごすって
大切なんじゃないかな、私ならそうしたいなって思えた出来事でした。
Commented by Ganbaruneko at 2011-12-14 13:47
☆Leynaさん、お返事遅くなってごめんなさい。
ニャオンちゃんの具合どうですか?色々と悩む気持ちわかります。
どうするのが一番楽か、楽って何かを考えますよね。

人が生きる上で一番の障害って「葛藤」なんじゃないかなって思うことがあります。
自分の気持ちと相手の気持ち、おかれた状況などなど葛藤してしまう要素って
たくさんあって。大切な相手のことを選択しなきゃいけないときほど葛藤も
増えてくるのかなって思います。それも自分ひとりで決断できない、しちゃいけない
ってことも少なくないですしね。

私の場合ですけど、いつも”この出来事は私に何を学ぶように言ってるの?”って
ことを考えて次のことを考えたりします。
そんな風に考えるようになって、その学ぶべきテーマが見つかったときに
なぜか自動的に物事もすんなり流れ始めて全てすっぽり収まることも多くなりました。

ニャオンちゃんのこと、良い方法が見つかることを願っていますね。
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